子育てプログラマーの日常

とあるプログラマーの日常をだらだらとつづってます。
息子:2007年8月生まれ 娘:2011年12月生まれ

算数新聞(息子の夏休みの宿題)

SQ_NSwitchDS_Fortnite.jpg
息子の夏休みの宿題で「算数新聞」というのがあった。何でも良いので自分に興味のある算数や数学、もしくは何らかの数字に関することを何でも良いので調べてこいというもの。

こういうのは本人の興味のあることで無いとやる気がでないのがわかってるので、最近息子がハマっているFortniteを含むバトルロイヤル系ゲームの人気度合いを調べさせた。(というか調査の大部分を私がやって、最終的な新聞の形にする部分だけを息子がやったという状態)

プレイ人口を調べようと思ったけど、プラットフォームが異なる上に、同時接続ユーザー数などの数字は公開されていないので断念。結局、twitch(ゲーム実況動画をアップできるYoutubeのようなサイト、ゲーム毎にまとめられている)の統計を見れば良いんじゃないかという判断で、息子の話によく出てくる、Fortnite、PUBG(PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS)荒野行動(Knives Out)の総視聴時間、ピーク視聴者数を調べてみた。

twitch 統計サイト

世界的にはFortniteの方が流行ってるみたいだけど、日本ではPUBGの方が人気の模様。荒野行動は完全にお通夜状態。(上記ページの言語を変えて調査)

息子の周りではSwitch版のFortniteの無料配布で大流行中みたいだけど、自分の周りと日本全体での状況が異なることがわかったのが面白かった。

個人的には(小学5年生にしては)なかなか興味深い新聞に仕上がったけど、題材がTVゲームということで、素直に褒めれないであろう先生の反応を楽しみにしていたりする。

屠殺ワークショップ

今回のブログはの内容は屠殺(鶏を絞める)に関するものです。
そのような話題が嫌いな方は、読まない方が良いかもしれません。

ちなみに、今年の1月の話です。


2年近く前から息子がやってるゲームがある。
Minecraft」というゲームで、動物として牛、豚、鶏、馬などが出てくる。

ゲーム内で牛を殺すと牛肉が、豚を殺すと豚肉が、鶏を殺すと鶏肉が出てくるのだが、
馬を殺すと、"皮"が取れるだけで食料は手に入らない。

で、息子と一緒にゲームしてて、"馬"を殺して怒られた。
息子いわく「馬は殺しても食料が手に入らないから殺したらあかん」との事
(ちなみに皮は牛を殺しても入手可能)
特に教えたわけでも無いのに、どこからこういう考えになるのだろうか?
という部分に興味がいった。


で、ちょうどそんな時期にちはるの森というサイトが炎上してた。
ウサギを食べる話で「かわいい味がした」なんて事が書いてあったので、
良いも悪いも言う気は無いですが「まあ炎上するよな〜」とか思ってた。


で、子供にもやらせてみたいと思い、探してみたら
「屠殺ワークショップ」を開催していた方が居た。

Facebookで連絡をとってみたら、
「他にも問い合わせがあったので、近々開催します」
とありがたい返事。



と、前置きが長くなったけど、息子と二人でイベントに参加してきました。

参加するに当たり、気をつけたのは息子の心の動き。
自分の周りに何人か鶏肉(or肉全般)嫌いの人が居ますが、何らかのトラウマがあるっぽい。

息子にトラウマを与えたくはないので、参加を決めた1ヶ月前位から5,6回は、
以下の話をしておいた。

・鶏を殺して食べること
・鶏の首を切り落とすこと
・嫌ならやらなくて良いこと

特に最後は何度も確認した。直前で嫌がる事も考えて、場合により、途中退場する可能性も主催者側に伝えておいた。

大まかな流れは

鶏と戯れる

簡単な説明

鶏を絞める

解体する

食べる

ってな感じ。
手順の詳細が知りたい方はいただきます絵本プロジェクトを御覧ください
(閲覧注意:鶏の首だけの画像があります)
(実際は少し手順が違って、気絶させる部分がなかったです)



参加者は確か3組6人で絞める鶏は3羽。
息子と私で1羽を担当。

子供と一緒にやりたい事もあり、手間取る可能性を考えて、順番は最後にしてもらった。

最初は他の人が絞めるのを見ていたのだが、自然とみんな無言になる。
最初の方は鶏の首を切るのをかなりためらっていた。
おそらく3分程度だとは思うが、かなり時間が長く感じた。

失血死させた鶏はお湯に漬けた後で羽をむしっていく。
この辺りは私も手伝っているのだが、その時の自分が思ったのは
「早く、これ(死体)を食材にしなければ」という事

自分達が殺した"鶏の死体"という状態のものが、
その場にあることが嫌で、早くこれを"食材"という形に変えてしまい。

多分、生き物を殺した罪悪感を何とか解消させようとしてるのだと思う。
で、羽をむしり、見慣れた食材の姿になると、本当に"ホッ"とする。

羽をむしった状態で、一旦、その鶏をおいておき、
次の鶏を食材に変えていく。


3羽目、息子が握った包丁をその上から一緒に握る。
左手で鶏の顔をつかみ、目を隠す。
暗くすることで鳥目の鶏をおとなしくさせる。


二人で一緒に鶏の首を切った。




すぐに鶏を殺せてしまう事が怖い



1羽目に自分がやっていたら、かなり戸惑っていたと思う。
それが自分でやっていないにしろ、そばでやり方を見ていて、
多少の経験となったのか、それほどためらわずに鶏を殺せてしまった。

「食べるため、またその過程を知るため」という自分なり正当な理由があり、
慣れてしまいさえすれば「こんなにも罪の意識は軽くなる」のを実感した。




この後に"肉"の解体作業があるのだが、
そこから先は自分の中で、大きな感情的な動きはなかった。

何度か見た事がある羽をむしったあとの鶏の姿は、
私に取って「食材」であるため、感覚的には魚を下ろすのとあまり違わない。
「へぇ〜砂肝ってここなんや〜」という感じで楽しんでました。




息子の反応はどうだったかと言うと、なんというか"普通"です。
鶏を絞める際はそれなりに緊張し、絞めた鶏肉は普通に食べ、
その後のトラウマ的な事もなさそうです(鶏のから揚げ、大好き)

「何か子供のためになったか?」と聞かれると、正直よくわかりません。
参加者の中で「食べ残しを減らす取り組みをしたい」と言ってた方が居ました。
「そのためにもこういう経験」をという話をされていましたが、
息子は相変わらずです。すみません。
(トラウマを気にしたので、それほど復習をしなかったのですが、
それが良くなかったのかもしれません。)


今すぐ何か反応が出るものでも無いですし、
今後、何かを考える上での1つの経験になってくれればとは思いますが、
息子の中でこの出来事が、重要な経験となったかどうかはよくわかりません。
20年後に聞いてみたいです。
(正直、忘れてんじゃないかとも思います)

他の人におすすめできるかと言うと、
大人には「やってみたいと思うなら色々考えることがあると思うので良いと思うよ」と答えます。
子供には「その子の性格次第だと思うので、全員には勧められない」と答えます。

多分、娘は連れて行かないと思います。
(何らかのトラウマを抱えてしまう可能性が多少はありそうなので)


「今の発達した食肉事情で、こういった事を見ずに肉を食べているのは良くない」
「食べ物の有り難みを知るために、こういう経験を」
という考えは、私はほとんど持っていません。


「何らかの出来事でジャングルに一人で放り出されても生きていける人間になりたい」
という感覚があって、そのための技術の1つとして面白そうというのが一番の参加理由です。
(あと息子がどんな反応をするのか見てみたかった)

「理屈上では鶏も魚もイルカもクジラも一緒」という考え方をする人間ですが、
・そんな人間でも目の前の動物を殺すことに罪の意識を感じる
・でも、すぐに慣れてしまう。
というのを体験できたのが面白かったです。



今回の屠殺ワークショップではO:NIKU Stationの桂さんにお世話になりました。
親子で貴重な体験をさせていただきました。
本当に、ありがとうございました。


余談ですが、
桂さんが「ゲームから屠殺に辿り着くってどんなゲーム?」と気にされてましたが、
特に普通のゲームでそういった食育的要素は特にありません。
(でも良いゲームですよw)

ポジティブ思考とネガティブ思考

息子からの手紙
深夜に出張から帰ると、テーブルに息子からの手紙があった。

「おとおさん かえってきたら じょすいの よこで ねてくださいね」


ネット上でSNS関連の書き込みを見ていると、
不自然な程「ポジティブ」な書き込みをよく見る。
「ポジティブ」であることが推奨され「ネガティブ」であることが否定される。

誰かがポジティブな書き込みをしているのを批判するつもりは無いのだが、
正直なところ「なんか気持ち悪い」と思ったり、
「ああ、この人色々うまく行って無くて、疲れてるのかな〜」
なんて事を想像したりする。


息子からの手紙を、ポジティブに考えれば
  「おお、俺ってかなり息子に好かれてるな〜」
と取れるし、ネガティブに考えれば
  「最近、かまってやれてなくて、愛情不足かな〜」
とも受け取れる。

どっちが正しいってわけじゃなく、多分どっちの要素もあると思ってて、
その後どう対応するかは、ある出来事を含む様々な情報から総合的にしか判断できない。


ネガティブな感情に押しつぶされてる人を見ると、
「もうちょっと、◯◯という風に考えてみたら」というポジティブな考え方を伝えたくなるが、
あんまりポジティブな人をみると
「それって、逆にやばくね?」とネガティブな考え方を伝えたくなる。
(ちなみに一応、相手は選んでるつもり)


というわけで、ややネガティブよりのtadahiroです。

コーラで歯が溶ける?

というのを息子が保育園で聞いてきたので実験しました。

用意したのは、私が20歳頃に抜いた親知らず
将来、自分の歯から人工の歯を作れるようになるかもと、安易な思いで保存してました。
あと、クローンとか作れたら面白かな〜とか

iPS細胞とか色々技術が発達して「これ置いといても無駄じゃね?」
という気がしていたので、使い道があったのでちょうど良かった。

さて、こちらがコーラにつける前の歯
before
上から見ると、少し虫歯があるので、綺麗な方面から撮影

で、10日間漬け込んだ歯がこちら
after

具体的に重さを量ったわけじゃないので、正確ではないのですが、
目視でわかるレベルでは溶けていません。

前後で重さを量ることも考えましたが、10年以上かけて乾燥させたのと
同じ程度の乾燥状態にするのに時間がかかるので、やめました。


ちなみに、毎日1本コーラを飲むとして口の中にとどまる時間が30秒程度とします。
80年間、毎日1本コーラを飲むとすると

  30秒×365日×80年=876000秒≒10日

という感じです。


色が染まるのは何も考えてなかったのですが、80年間毎日コーラを飲んでたら、
歯が黒くなるかも知れませんね。


と、やってみましたが、実験として大雑把なもので、
「この結果が絶対的に正しい!コーラで歯は溶けないんだ!!!」
なんて言うつもりはさらさらありません。

口の中にとどまる時間を30秒としましたが、これはコーラを飲むのに要する時間で、
その後に歯を磨かないで、口の中に残っている時間が長くなれば、歯への影響は大きくなります。

炭"酸"ですので、歯を溶かすのも確かだと思ってます。
ただ、直接的に歯を溶かすのではなく、歯を多少弱くする程度で、
実際には虫歯の菌を培養してしまうかどうかの方がよっぽど影響は大きいと思います。
なので、口をゆすぐ、歯を磨くなどの"当たり前の事"をやることのほうが、
歯を守るのに大事でしょうね。

Wikipediaの酸蝕症のページを見ると、清涼飲料水や果汁であっても同様の影響があるようで、
コーラ"だけ"が悪いわけではありませんね。


ちなみに、コーラを含む"甘いもの"って何かと批判されるのですが、
脳を働かせるためのエネルギーにもなるみたいですね。
なので、特に子供には糖分が必要との事。
(by かっちゃん in 毎日かあさん)



何でこんな実験をやったかと言うと幾つか目的があるのですが、

・単に私がやってみたかったから
・息子に「自分で調べてみる」という事を教えたかった
・1つのものを悪者に仕立て上げて、他のリスクを考えなくなることを防ぐため
・息子がすぐに大人の話を信用しないようにするため

という感じです。


「素直な子供に育って欲しい」って親の都合だよな〜
人の事を適度に疑う人間の方が、世の中渡っていくのに重要だよな〜
なんて、思ってるんですが、どうなのかな?

私ほどには、ひねくれて欲しくは無いですが

オバケが怖い

子供がオバケを怖がって、トイレについてきて欲しいとねだることがよくある。

「何かが居ないこと」って悪魔の証明で、多くの場合、証明ができない。

私がオバケを怖がらないは、30年以上生きてきた中で遭遇したことが無い事から、
「統計的に考えれば居ない可能性のほうが高いだろう、
仮に居たとしても、自分の人生に影響を及ぼす事は無いだろう」
という感覚を持っているからであって、
人生経験の短い子供が、オバケが怖いのは当たり前と思ってる。

私自身が中学生の頃、林間合宿で肝試しをした時に、
「オバケより人間の方が怖いです」なんて大人びたことを話してた割に、
暗闇から何かが出てこないかとビクビクしたのを覚えている。

それが14歳くらいの事なので、何ら心霊現象らしきことに遭遇した事が無いのに、
14年間という時間では「オバケが存在しないであろう」と思うには不十分という事になる。


まあ色々思うことはあるのだが、やっぱり子供のトイレに付き合うのは面倒だったりする。

最近の遊び その9(餅つき)

餅つき
義伯母の友人から臼をもらったので、息子の友達を呼んで餅つき大会。
妻の実家に居候していると、こういうネットワークが役にたったりします。

今回で3回くらいやってるので、徐々に慣れてはきているんですが、
「子供につかせる」っていうのは難しいです。

というか「子供につかせる」ってのと「ちゃんとした餅を作る」ってのが、
両立できないんですよね。

「ちゃんとした餅」を作ろうとすると、どうしても手早くやる必要があります。
餅が冷めないようにってな意味合いが1つ。
もう1つは水をつけすぎると餅がベチャベチャになるので、
いつまでもこねくり回さないってのが理由です。

そんなわけで「ちゃんとした餅」を作るのは諦めて、
多少ダマが残ろうが、水分が多くてベチャベチャになろうが、
「自分で餅をついた」っていう経験を優先させてます。



で、だ、

そんな事を色々考えてやってるんだが、

一番の問題は、

息子は男友達と遊ぶのに夢中で、
餅つきが始まっても、部屋から出てこねーーんだわ。



場の空気を読んで餅つきに参加する女の子達と、
場の空気をまったく読まない野郎ども。

もうちょいしたら、私の子育て熱が、息子から娘へ移動しそうな気がする。

最近の遊び その8(また芋掘り)

芋掘りきょうだい
去年もやったけど、また芋掘り。

今年は去年の半分くらいの面積にしか植えなかったのですが、
とれた量はさほど変わりませんでした。
ツルボケしないように畑から出たツルを畑内に戻してたのが良かったみたいです。

で、それは良いのだが、虫に食われまくってました。
(ちょっとグロいので画像なし)
後で調べたら、コガネムシの幼虫がかなり居たので、
これにやられたみたいですね。

さつまいもって、ほったらかしでも育つみたいな事をどこかで読んだけど、
やっぱり、ある程度の手入れは必要みたいですね。
あと、掘る時期が遅かったのも関係あるかも?

採れた芋はスイートポテトにして食べました。
(写真撮り忘れた)
料理に興味をもって欲しいんだが、息子は相変わらずで、さほど興味を引かず。
一緒に遊んだ女の子二人は興味をもってくれたみたいなのだが、
「家でも作りたーーーい」とか言ってて、それはそれでまずかったりするかも?

バスルーム用のライト

結婚前から妻が持っていた、バスルーム用のライト。
バスルームライト
ゆっくりと色が変わるライトで、一人でゆっくり風呂に入る時に、
風呂場の電気を消して、リラックスしたい時にでも使うものみたい。


で、子供が二人も居ると、ゆっくり風呂なんて入ってられるわけもなく、
このライトも息子のおもちゃになってました。


↓で、こんな事に
キラー ライト

家が子供仕様に変わっていきますね。

朝の儀式

息子が1歳児クラスの頃、保育園に置いて行かれるのを嫌がることがあった。

0歳から預けてるとはいえ、まあそういう時期もあるもんだな〜と思い、
保育園に送って行き、別れる前に2,3分ほど息子の気が済むまでハグしていた。

息子からしても、ずっとハグしっぱなしでもどうしようも無いし、
割りと落ち着き、諦めがつくようだった。
私は仕事上、始業時間のズレ等は気にしなくてよいし、
2,3分の事で、息子の気持ちが落ち着くのならと考え、それが朝の儀式として定着した。


ある時、家で息子の両手を持ってジャンプしたり、
私の体を駆け登って、後ろ向きに一回転したりする遊びをした。

次に保育園に行くと、それを保育士の人に見せたいらしく、
ジャンプしたり後ろ周りして、得意気にしており、
それでテンションが上がるらしく、置いて行かれる不安がなくなるようだ。

そんな事もあり、徐々に、朝の儀式がハグから両手持ちジャンプに変わっていった。


またある時、息子と朝の儀式をしていると、同じクラスの女の子が、
「○○(自分の名前)も、して〜」
と寄ってくるため、その子にもしてあげた。

で、だんだん寄ってくる人数が増えて、同じクラスの子4,5人にするようになっていった。
(なんとなく、寄ってくる子は決まっている)


息子が3歳になると、登園後は園庭で過ごすようになる。
息子とは園庭にでて、門の近くで別れるため、朝の儀式は門の付近で行う。

で、園庭には3〜5歳時までが居るため、当然のように人数が増える。


そのうち順番がどうとかで揉め出す事があり、
人数が居るときは、ちゃんと並べと指示したり、
あとは、面倒なので全員1回づつに限定し、顔を確認して2回はやらない。
最初はごまかして2回やろうとしてくる子も居たが、
何度かやってるうちにみんな1回で諦めるようになる。

園庭で遊んでいるときには、それぞれが遊びに集中しているため
私に気づかない子が多いのだが、面倒なのは雨の日。
3〜5歳児が1つの部屋で遊んでおり、どうやっても見つかってしまう。

息子の用意が終わると、子供の列ができていたりする。
だいたい15人くらい。

列を見て、朝からぐったりくる。


息子は私を取られるような感じが嫌で、
自分だけにして欲しい時もあったようだが、今はそうでもない模様。

というか、自分の父親を自慢している感じになってる。

最近に至っては、並んでいる子供が居ないと不満なようで、
「みんな〜〜〜〜ジャンプすんで〜〜〜〜〜〜」
と大声で叫び、わざわざ人数を増やそうとする。


やめてくれ

入園式の服装?

まず、前置きですが、仕事であまりスーツは来ません。

普段の仕事するときに服装ですが、
夏場は、アロハと短パン。
冬場は、半纏を羽織って、足は寝袋に突っ込んでます。

自分一人の仕事場なんで、いかに快適に過ごすか?
ということだけが、服装の選択理由です。

仕事で直接クライアントと合う時はスーツを着ますが、
現在、そういう機会があまりなくて、
去年一年間で仕事でスーツを来た回数は0でした。

というか、仕事関係のプログラマー仲間と電話以外で会った回数も相当少なくて
去年だと2回だけだった気がします。

そういえば、昔に勤めていた会社も私服でしたし、
スティーブ ジョブズ、ビル ゲイツ、マーク ザッカーバーグなどの
ソフトウェア業界のトップの人も、TPOによるとは思いますがあまりスーツを着ません。
業界的に服装に"ゆるい"感じです。

仕事の内容的に、"非合理的"な事を嫌う人が多そうな気がしますので、
そういった事が関係しているんだろうなと思っています。

(ちょっと余談ですが、ソフトウェアの開発手法で
「効率的に仕事するには、机の横にチョコ置いとけよ、ガハハハハ」
みたいなのがあったりします。)



で、まあ何が言いたいかと言うと
「意味が無いのに堅苦しいカッコはしない」
というだけですね。



前置きが長くなりましたが、昨日は生後3ヶ月の娘の入園式でした。

当然の如く、いつも通りのラフなカッコ(ジーパン&ユニクロフリース)で行くわけですね。
で、保育園に行くと何人かの人は小奇麗なカッコをしているわけです。

人の勝手なんですが、ご苦労なこったな〜なんて思ってました。
(ちなみに、二人目以降の子供で、上の子供が入所している保護者はみんな普段着でした)

で、晩にmixiを眺めていたら、友人のつぶやきで
「入園式に父兄が普段着?」ってなのがあって、
えぇぇぇ???と思ったわけです。


特に深くも考えていたわけでは無いので後付になりますが、
スーツを着ない理由は幾つかあって、

機能的な理由

・大量の荷物を運ぶ
  お昼寝布団、着替え4,5組などの保育園に置いておくもの

・当たり前だがオムツ替えなどをする
  汚れる可能性あり

・スリング使用
  スーツなどを着ると型崩れする


精神的な理由

・めでたくない
  保育所の入所は"保育に欠けるもの"が入る所で、
  ある一定年齢に達したために入るわけでない

・スーツを着ても子供が喜ばない
  "正装"というのを理解できる年齢ではない(娘 0歳3ヶ月)

・何らかの区切り的な意味合いがない
  保育所の入所する子の年齢は様々で、特に区切り的な意味がない
  娘は4月からだが、息子は1月から入れている

・子供に変化のストレスを与えないため
  子供にとって、環境が大きく変わるため、わざわざ親が
  「さあ今日から環境が変わりますよ」といって負担をかける意味がない


と思うのですが、どうも私ら夫婦が少数派のようで、
え?なんでスーツ着るの?
という感じで、さっぱり世間の感覚がわからなくなっております。

0歳児で保育園に入れる人で、
「えっ?入園式だからスーツでしょ?」
という"世間の常識"という以外の理由って何かあるのかな?


ちなみに、息子が保育園を卒園する時は、
上記の理由はほとんど当てはまらなくなるので、
何らかの正装をするとは思います。


晩に気づいたのですが、入園式で写真1枚も撮ってねーや。
1/11 >>