とあるプログラマーの日常をだらだらとつづってます。
息子:2007年8月生まれ 娘:2011年12月生まれ
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息子は胎児期の記憶を語ってるんだ!
私は素直にそう信じた。
そうしてみると、私の好奇心がむくむくと膨らんだ。私には昔から、どうしても知りたい疑問があったのである。それは、「赤ちゃんは、どこから来るの?」であった。
お母さんのおなかに入る前、魂はどこにいたの?
メーテルリンクの名作戯曲「青い鳥」の中では、魂たちが胎児になる順番を待つ場面が出てきた。子供のころ、この戯曲を読んだときから、私は「本当のところはどうなのよ」とずっと思ってきたのである。この質問に、納得の行く答えをもらったことは一度もなかった。
この命題、今、胎児期の記憶を語っているこの子に解いてもらうしかない。私はそう確信した。
私は慎重に行動に移した。「え〜!ゆうちゃん、お腹の中のこと覚えてるんだぁ。すごい、すごい」なんて矯声をあげて彼を驚かしたら、息子の大事な記憶の扉が閉じてしまうかもしれない。まずは、最初の驚きを飲み込んで、深呼吸する。そうして、喉の緊張をほぐしながら、息子と呼吸のタイミングを合わせた。
ちなみに、対話の相手に心を開いてほしいと思ったら、呼吸のタイミングを合わせるのは、とても有効な手段だ。相手が大人でも効く。真実のことばを引き出せる。奇跡も起こるよ。
こうして、息子が行きを吸うタイミングと一緒に、私は、すっと質問を口にした。彼が吐く息にのせて返事ができるように。
「ゆうちゃんは、ママのおなかにいたのよねぇ」
「うん」
「で、その前は、どこから来たの?」
「…」
ここまで慎重を期しながらも、本当のところ、彼の答えをほとんど期待していなかった。ましてや、私が納得のできる答えなど……。しかし、次の息子のセリフで、私はこの命題の、永遠の解答をもらったのでだった。
「ママ、忘れちゃったの?
ゆうちゃんは木の上に咲いていたんじゃない。
で、ママと目が合ったら、ママがおいでっていってぇ、
それでもって、ここに来たんだよ」
美しい詩のようだった。
私は、涙が止まらなかった。
もちろん、彼が、ことばどおりに木の上に咲いていたかどうかはわからない。けれど、少なくとも、彼の原点の記憶は、「木の上に咲いていた」と表現するような穏やかな満ち足りた場所から始まっているのだ。
そうして、私の魂と共振して、彼はちゃんと何かを確信してここに来たのである。その創め、私たちは、ともに求め合った。ぼんやりと親子になったわけじゃない。
それにね、彼の「木の上に咲いていた」も、必ずしも全否定できるものじゃない。魂は森羅万象に寄り添うもので、ときに風になり、ときに雨として大地にしみこみ、やがて、木の上に咲く日もあるかもしれない。
息子のこのセリフに出会ってから、私は、この世の事象のすべてが愛おしいと思えるようになり、大切な人たちが逝くのが怖くなくなった。
あれから、義父や叔母を見送ったけれど、きっと森羅万象に散って傍にいてくれる、と穏やかに信じている。葬式で流す涙の種類も変わった。悲しみの涙ではなく、満ち足りた魂を祝福する透明な涙になった。
私は、このことばに出会えただけで、一生分の親孝行をもらったと思っている。子どもは神の使いなのかもしれないね。